Nao000のぶろぐ

蝶を追っている少年になりたい

小学校、中学校、高校で勉強する意味の自分なりの理由

 小学校、中学校、高校で「漢字ドリルとか、算数、歴史とか勉強する意味無くないですか!?」と言う有名人を見かける気がしますが、ここで自分なりの理由を記録しておきます。

 僕の予想ですが、意味ないと主張する方達は「知識自体」に重きを置いていると思います。僕は意味ある派であり、その理由は「何かを学ぶ力」に重きを置いていると思っています。

 じゃあ、「生きていく上で必要な知識・興味のある知識だけを勉強すればよくないですか!?」という問いかけをされたとき、僕は正直悩みます。「それはそう」と思うからです。

 今の状況を踏まえて反論するとすれば、「生きていく上で必要な知識・興味のある知識」は学習意欲があり、自然と学べます。また、学ぶ過程において、「生きていく上で不要な知識・興味の無い知識」を学ぶ力を持っているほうが強いです。強い人が多いほうが社会として強く、強い社会であることで健やかに生活することができます。だから、「生きていく上で不要な知識・興味の無い知識」を「学ぶ力を得るため」に勉強すると思っています。

 「強い人」って何すか?と思いますが、僕もうまく表現できません。恒常的に尊敬される人、敬意ある行動を取れる人、だと思っています。

 まあ僕は何においても満足に学べているわけではないのですがね。